記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

苦悩に関して

苦悩に関して最近思うことがいくつかある。
  1. 苦悩は体調に依存する、あるいは実は体調そのものかもしれない 自分の場合、土曜や日曜の夕方頃、来週の仕事の事などを考え鬱々とした気分に覆われることが多々ある。このとき、往々にして眠い。そして仮眠を取るとすっきりして、鬱々とした気分が減っていることに気がつく。 左脳の特色としてストーリーを作り上げる、ということがある分離脳患者の観察などでは、左脳はつじつまあわせのために全くでまかせのストーリーを作り上げることが知られている(参考:ユーザーイリュージョン)。 実は、根本は単に、眠い、体調が悪いという体からの信号で、それを無理やり左脳が仕事への悩みとリンクさせているだけで、実は相関は低いのかもしれない(左脳のこじつけ?)。 これは子供を見ているとよくわかる。彼らは眠いときなど非常に感情的になったり、いらいらいしたりする。そしてその理由を"Aだから""Bだから"などと適当なことをあれこれいうのだが、親から見てると全くあて外れで、単に眠いのだということがよくわかる。しかし彼らは本気でそのいらいらの原因がAやBであることだと思っていて、”眠いんだろ”といっても否定したりする。これは子供をみているとよく思うのだが、実は大人にも当てはまることが多いのかもしれない。
  2. 悩みは階層を作る 私の場合、常にあれこれ悩んでいる。ただその場合、重要度のようなものがあり、一番重要なものに意識がフォーカスされている。仮にその悩みをAとすると、”ああAがなくなればいいのに”と思うのだが、実際はAがなくなると次のBがフォーカスされて尽きることがない。AがあるときBもあるのだが、このときBはあまり気にならない。つまり悩みの大きさというのは絶対的というよりは相対的である。また悩みがなくなる状態、というのも恐らく幻想なのだろう。そう考えると、悩みは解決しようとするよりはほったらかしておくのが良いのかもしれない。
  3. 肉体的苦痛は精神的苦痛を上回る 私だけかもしれないが、そう感じることがある。2の点にも関連するが、仕事のことなどで鬱々としているときに熱などが出て体調不良になると、仕事の事など精神的なことよりも肉体的な苦痛にフォーカスがいき、仕事の悩みなどが相対的に小さくなることを感じることがある。人間にとって(私にとって?)、肉体的危機は精神的危機より優先度が高いということだろう。どのくらい汎用的なものかわからないが、こう捉えると、精神的苦悩というのは肉体的に満たされた者のみが持てる贅沢な悩みなのかもしれない。実際明日の飯にも困っている人にとっては、明日の飯が最大の関心ごとであり、それ以外の悩みは優先度は低いのだろう。