記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

代数解析学の基礎

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学生の頃大学の図書館で見て、恐ろしく難しく何一つわからなかった(宇宙語のようだった)ことが印象に残っている本。普通の本屋や図書館で見かける本ではないが、先日角川ミュージアムに行くとそこの図書館にあり手に取った。ここの図書館は普段なかなか目にしない数学書など珍しい本があり良い。

大学のときはさっぱりわからなかったが、その後ネットでの代数解析学の解説を読んだり、コホモロジー代数幾何を少々勉強したことにより、細かい点はわからないが何がやりたいかはなんとなくわかる気がする。つくづく大学レベルの数学を勉強をするにはいきなり専門書に取り組むよりも概論レベルの解説を読んでその理論を打ち出した問題意識を理解したうえで読むことが重要だと改めて思った。

神は詳細に宿る

"同じにするという能力を、人間は能力としてどこかで手に入れたそう考えてみると、人間の特徴は全部説明できるという気がしてきたのです"

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養老先生が随所に書いた文章を集めた本ということ。どこかで見たような内容が多いが、養老先生が良く語っている、”言葉”、”同一性"、"情報"が"脳から考える人の起源と進化"という章にまとまっていて良かった。いろんな本でこの説明を読んだがクリシュナムルティやアドヴァイタのグルなど宗教的な覚者たちが語っていることとシンクロしている気がしてすごく本質をついていると思う。人間はことばを手にして同じにするという能力を手に入れた一方その監獄に閉じ込められているということか。

確かに言葉で考えると、”人は生まれて、何かを得たとしても死んだらなくなる””未来は太陽は地球の軌道まで膨張するし、ビッククランチもあり地球、宇宙も有限であるこの世界に何の意味があるのか”とか、むなしい思いにとらわれることがある。このときに自分は言葉の世界にとらわれていることに気が付くべきだろう。その世界の中では解が無くても、それは人間の脳、意識の一領域であって、そこから出ることは可能である。 

すでに目覚めている

スクリーンに映される映画という比喩が役に立ちます。映画が内容で、スクリーンが気づきです。このふたつはひとつのものです。スクリーンは三次元のスクリーンで、映画がそのなかに映っています。すべては三次元スクリーンという背景に映っています。

 

アドヴァイタのグルとしてトニー・パーソンズと並び有名だったらしいネイサン・ギル。本書も上記引用のように非常に具体的にわかりやすい説明で良い。2014年に自ら命を絶ったとのことで非常に残念。また生の声を聴きたいと思ったがYouTubeにあまり多くの動画が残っていないようで残念(短い動画がいくつかある)。

 

 

本気でFIREをめざす人のための資産形成入門 30歳でセミリタイアした私の高配当・増配株投資法

FIREを達成した元三菱サラリーマンの投資本。給料の8割を高配当株の投資に回すという投資スタイル。金融資産7000万を築き30歳でFIRE達成とのこと。高配当株への投資を積み上げていくことで、今日より明日、明日より明後日が良くなるという確信・自信が生活に彩を与えるというあたり、とても共感した。私はFIREをしたいわけではないが、資産を築いて経済的な安心感や自由を得たいという思いは強くある。

投資には様々なスタイルがあり興味深い。この方は給与の8割を高配当株への投資に割り当てるスタイルだが、少ない資金で集中投資してキャピタルゲインで億の資産を築く人もいる。どういう投資方針が良いのか迷うところだが、試行錯誤して自分に合ったスタイルを見つけていくのが良いのだろう。

 

 

お経のひみつ

著者は日本女子大教授などをされていた宗教学者、作家の島田先生。平易な文体で仏教、お経の概説がされておりものすごくわかりやすい本だった。仏教にはさまざまな異なるお経があるがその位置づけが明快に整理されていて良かった。般若心経は部派仏教→大乗仏教密教の流れを端的に示すお経だという説明もとてもわかりやすくイメージを喚起する。

 

大乗仏典は直接の釈迦の教えではないわけだが、昔の人はそうは思っておらず大乗非仏説というのが唱えられたのは江戸中期とのこととのこと、というのは非常に重要だと思う。本を読むときには、どういう立場の誰が書いたのか、ということが非常に重要なわけだが、江戸時代中期以前の人々はこの大前提を勘違いしてお経を読んでいたことになる。著者はこれが特に法華経が諸経の王と呼ばれたことと関係する、と指摘する。法華経はそれ以前のお経は法華経へ導くための方便である、と説いており、これを読んだ昔の人が法華経こそが釈迦の本当の教えだ、と思ったのだろう。

 本書では法華経についても明快な解説がある。法華経の柱は、方便品と如来寿量品であり、如来寿量品で釈迦が明らかにするのは、自分が成仏したのは現代の世の中のことではなく、はるか昔で、さらに未来においても不滅であるということを明らかにする。こうした釈迦が永遠の存在であるといったことを久遠実成という。日蓮宗の総本山である身延山久遠寺もこれに由来する、とのこと。

 こうした解説を読むと私は益々法華経の価値がわからなくなる。法華経は釈迦ではない誰かが書いたわけだが、釈迦が永遠の存在であるといったその根拠は?、等々、疑問だらけである。私は空の思想が説かれる般若経の方が好きだ。本書では般若心経の解説もわかりやすかった。

シジュウカラと巣箱

シジュウカラ

昨年、庭に巣箱をつけた。シジュウカラの夫婦が何度か見に来ていたが、巣作りはしなかったようだ。

ことしも設営。何度かシジュウカラが見に来ていたがしてなさそう。今年も来ないのかな、と思っていた6/5頃。妻が”赤ちゃん生まれたよ”と興奮している。巣箱の方から鳴き声が聞こえるので見たところ中に雛がいた、とのこと。

よくよく見ていると、3-5分に一回くらい親鳥が巣箱に来ている....。全然気が付かなかった。雛が生まれたらもっと騒がしいものかと思っていたら、かすかに鳴き声が聞こえる程度で静かなものだ。よくよく見ていると餌を運んできたり、糞をそとに運び出したりと忙しい。

もう巣立ちまで1週間もないのでは、と思うが、楽しく見守りたい。

 

こころにとどく歎異抄

無人島に一冊持っていくならこの本、といってよく話題になる歎異抄。大昔読んだ気がするが、どんなことが書いてあったのか気になり読んでみた。

三田さんによる意訳はとても読みやすい。そして、あれこれ浅はかな人間の計らいを捨てて阿弥陀さまの本願を信じて念仏を唱えよ、という親鸞の教えもシンプルでわかりやすいと思う。

しかしなぜ阿弥陀様の本願を信じられるのかが全くわからなかった。そこは理屈ではないようである。信じるものは救われる、といったところか。このあたりついていけずもやもやするばかりで半分くらいで挫折。

 

”我を信ぜよ”と主張するカルト宗教が乱立する中で”信じる”という行為は非常に危険と思う。本書にも書いてあるが、親鸞の教えの下となる浄土三部経は釈迦の時代から五百年ほどのちに生まれたものである。その誰が書いたんだかさっぱりわからないようなものをどうして信じることができるのか。親鸞の時代には恐らくお経に書いてあることは正しいのだから弥陀の本願を信じる、といったことになるだろうが。親鸞の教えを信じている人は本当に阿弥陀さまがいると信じているのだろうか。信じているとしたらなぜ浄土三部経を書いた人は阿弥陀さまの存在を知ることができたのか、もやもやするばかりでさっぱりわからなかった。