記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

苦悩

人はいろいろな事に対して苦悩や恐怖を感じます。仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、等々。 だがふと考えてみると、苦悩は自分の中での制御信号でしょう。例えば仕事がうまくいかない、何か問題がある。脳はそれに対して、何か問題がある、改善が必要だ、ということで、やばい、という信号を送る。その感情が非常に居心地が悪く辛いので人はなんとかしようとあれこれ対策を試みる。つまり人間の一つの機能、制御信号、でしょう。この信号がなければ、人はどんな危険な状況でののんびりしている。そんな生物は生き残れないでしょう。 こうして考えると、何故苦悩があるのか、苦悩から解放されたい、というのはおかしい気がします。それは人間の高度な機能、信号である。こうした高度な機能を持たない生物や無生物にはもちろん苦悩はない。 扁桃体、を削除したネズミは恐怖感を感じることがなくなり、性欲剥き出しの目もあてられない状況となるそうです。 進化しすぎた脳 恐怖や苦悩から解放されたい。恐らく簡単でしょう。神に祈るほどの大げさなことではなく、恐怖や苦悩をつかさどる脳の部分を破壊してもらえば良いのでしょう。痛みを感じるのが嫌であれば、痛みを感じる神経を破壊してもらえば良いのでしょう。ただまともな生活を送れなくなるでしょう。怖いものがなくなり、危険なことをして死んでしまうかもしれません。人間がロボットを作るとしたら、正のフィードバック信号と負のフィードバック信号を与えるのは当然でしょう。負のフィードバック信号がなければ危機回避行動ができない。まれに痛みの神経がない人(無痛症?)という人がいるようですが、怪我をしても気が付かないため体をぼろぼろにしてしまうようです。 こう考えると、よく恐怖や苦悩が嫌だ、解放されたい、と考えるのですが、その考えはおかしいのかな、という気がしてきます。それは自分が生み出した自分の制御信号でしかなく、そこから逃れるというのは自分から逃げているようなものである。人間が進化で獲得した高度な機能なはずなのに。 ガンガジさんはよく、StoryなしにFearと直接向き合うと、それは単なるエネルギーでしかないことに気が付く、といったことを言っていますが、それは逃げ出さないでFearに直接向き合うと、Fear自体には何の問題もないことに気が付く、といったことなのかもしれません。単にその信号が示唆するものを受け取って、淡々と対処をして、That's all、なのかもしれません。 クリシュナムルティが言っている、"fear is an extraordinary jewel, extraordinary something which has dominated human beings for 40,000 years and more."というのものもしかしたらこんなことが言いたいのかもしれません。