記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

「心」はあるのか

「心」はあるのか―シリーズ・人間学〈1〉 (ちくま新書)「心」はあるのか―シリーズ・人間学〈1〉 (ちくま新書)
(2003/03)
橋爪 大三郎

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著者は東工大教授の橋爪大三郎さん。専門は社会学ウィトゲンシュタイン等が得意な方のようです。 本書は麻布学園の心とテーマとした複数講師による連続講座をもとに書き下ろしたとのこと。こういう講義を基に書いた本、読みやすいのはいいのですが、内容が少々薄いものが多い気がします。 本書のテーマは「心はあるのか?」。著者はウィトゲンシュタイン言語ゲームをベースに、心はあるのかないのかわからない、というか、どちらかというとないといってよいのでは、ということで話を進めているようです。結論はあまり明確になっていないような気がします。まあ簡単に結論がでるような問題ではないですが。 著者は、例えば、心があって言葉が出てくるという考えはおかしい、むしろ言葉があってこころが出てくるのでは、とか、愛情はむしろ愛情表現があるところに愛情という感情が出てくるのでは、といったことを主張しています。つまり、心という実体があり、心→言葉、行動、と我々が何となく思っているイメージは逆で、むしろ、言葉、行動、といったものから、心といったことが感じられるのでは、といったことかと思います。 確かにそうかもしれませんね。我々がなんとなく心と思っているものは言葉で構造化されているように思います。言葉がなければ我々が普段こころと思っているものは成り立たない気がします。