著者は
立教大学教育学部教授の哲学者。メルロ・ポンティなどの本を書いている方のようです。2008年初版。本書の副題は”哲学・
倫理学からの批判的検討”とのことで、哲学者から見た最近の
脳科学に対する見解、といったところでしょうか。最近の
脳科学に関する動向がうまくサマライズされているので、
脳科学入門として読むのも良いのではないかと思います。
哲学者から見た
脳科学の批判的検討としては例えば、”脳と拡張した心”の章で述べられているような、脳が心といってよいのか、といった内容が述べられています。著者は他に”心は体の外にある”といった著作があるように、
アフォーダンスといった拡張した心論をよく述べている方。要するに人間や脳を解剖してもこころが見えてくるわけではなく、それを取り巻く環境まで含めないとこころは捉えられるものではない、ということかと思います。
特に印象に残ったのは第五章、”脳研究は自由意志を否定するか”。”自由意志”の問題は脳研究や哲学、心理学のテーマの定番で、特に脳研究では自由意識に関するリベットの実験がお決まりですが、これに対して
心の哲学者ダニエル・デメットの”意思的な決断が起こる瞬間が存在するというのは一種の神話であり、医師は時間の幅をもって分布しているのであり、その瞬間を測定できるたぐいのものではない”といった批判的見解を紹介しています。
私も日頃、よくこの”意思決定”の不思議さを感じます。確かに意思決定の特定の瞬間があるわけではなく時間の幅があることも多いように思います。何かの決断を迫られたとき、いろいろな情報を受けながら何となく意識していないところであれこれ思考が行われ、"Aである"といった結論が意識に浮かび発言する。しかし決断したのは、この意識に浮かんだ瞬間ではないのでしょう。その前から既に意識化では決断が行われたいたような気がすることも多々ある。そうかと思うと、非常に意識的に決断を行うようなときもある。短い時間の間で、例えば頭の中でpros/consの表を描き結論を導き出すような場合。なんというか、、意識的な決断、無意識的な決断、の二種類ありこれは性格が異なる気がします。日常的な決断は前者が多く、仕事などでの決断は後者が多い気がします。いずれにせよ著者の主張は例えば意思決定の瞬間というのはいつだろう?、例えば決断に至るための
情報Bを知ったときともいえるのでは、といったことで特定の瞬間を特定できるものではない、といったことかと思います。