記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

素顔のギフテッド

テレビで放送していた番組。高知能指数のいわゆるギフテッドの人たちの紹介。

 

最初に手出来た梶田光君は、11才にして数学の研究をして新たな定理を発見。数論の研究をしているようである。数学者の飯高茂先生も認めてました。光君は赤ちゃんの頃から数字が大好き。それだけでなくピアノも8歳にしてトリニティカレッジロンドングレード8合格、10歳で英検1級合格。すごすぎですね。お父さんは普通の会社員のようです。学校には通わず家で勉強。これだけ進んでいると学校の勉強は合わないでしょうねえ。海外だと飛び級で大学に入っているタイプですが、日本の教育システムはこういう子を伸ばす仕組みがないのは問題だと思いました。

 

光君以外にも何人かギフテッドの紹介がありましたが、やや微妙な感じ。才能よりも社会不適合の方が目立っている。こういうのが難しいところですね。

 

よく聞きますが、IQが高いと偉大な科学者になる、とかいうことは幻想のようです。アインシュタインニュートンなどの偉大な科学者はIQが高いと思いますが、逆は真ではない。むしろ、社会にうまく適合できずドロップアウトしてしまう人が多いような気がします。

 

前にテレビに出ていた日本で最高のIQ 188を出した太田三砂貴さんという方がいましたが、この方が何か偉大な業績を出しているかというとそんなことはなく、専門学校を中退したのち、IT系のコールセンターに就職したのち、25歳で琉球大学の学生...。天才ならもう教授になっていてもおかしくない年齢です。小学校で相対性理論に感動したという割にはぱっとしない感じです。天才数学者、テレンスタオは25歳でカリフォルニア大学教授です。でもこういう方多いですね。日本は学歴社会なのでせっかくの知能を活かせなかったといっていましたが、全くおかしいです。プログラミング能力が高ければすごいアプリを自分で開発すればいいだけです。実際優れたプログラムを時々中高生が開発して話題になっています。ITの世界は実力主義で全く学歴社会ではありません。なんだか言い訳じみたことばかり言っているようでした。

 

精子バンクで生まれたIQ175の天才児、ドロン・ブレイクは37歳現在で家庭教師だそうですし。つくづく高IQな人が何か偉大な業績を残す、というのは幻想だと思います。”十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人”ということわざもあるくらい、昔から人々はこのことに気が付いていたんでしょう。こうした..才にして..を理解、的な話はあまり意味がないと思います。どの程度理解しているか不明だし。同じくIQxxxだからすごい、というのもあまり意味がないと思います。それよりも何か新しい定理を発見した、とか結果で評価すべきでしょう。そういう意味で梶田光はすでに独自の数学の定理を出しているようですので素晴らしい。

 

私の小中の頃の学年にもIQが異様に高い子が2人いたそうです。一人は一浪の末東大へ、現在特に活躍しているという話は聞きません。もう一人は高校で不登校へ、その後はいい大学もいかずぱっとしない感じです。後者の子は小学校の頃の学力試験で一人だけとびぬけた成績を出して伝説となっていました。

後者の子はSNSなどで近況を拝見しますが、それを読んでわかることは正直あまり知性的だと思いません。文章を読むと知性が見えてきますが、この子(女性です)の文には思考の深さを感じない。この方、若いころには本をちらっとみただけで写真のように記憶できる特殊能力があったそうです。これが高IQ, 好成績の秘密なんでしょうね。こうした能力があると試験には強いのでしょうが、深く物事を考え追及していくような能力は全く別物だと思います。サヴァン症候群に近い能力だと思います。IQ試験というのは瞬発力のような脳のある一面を検査するだけであり、あまり意味がないんだろうなという気がします。この後者の子では、小学校の時驚異的な成績を残したもののその後だんだん失速している感じです。勉強がだんだん高度になり抽象度が高まるとこうした能力だけでは好成績を残せないのでしょう。ちなみにこうした写真記憶のような能力は高度な能力かというと決してそうではなく、人間ではない動物(鳥とか)はけっこう持っているそうであり、むしろ低級な能力かもしれません。人間の特徴として抽象的に考えるということがありますが、抽象思考の能力が高まるにつれこうした写真記憶のような能力は不要な能力として落ちていくのではないでしょうか。ただこうした写真記憶のような能力と、高度な思考能力を併せ持った人もいますね。フォン・ノイマンとか。

ジョン・フォン・ノイマン - Wikipedia

 そういえば私の妻は後者の子に似ているところがあると思いました。妻は学校で成績の良かった優等生タイプではありません。ただ幼稚園のとき、IQが特別高い子として先生に呼ばれたそうです。そういえば、妻には不思議な能力があるなと思っていました。ぱっと見てディテイルまでその画像を覚える写真記憶のような能力があり時々驚きます。ロッカーキーの3, 4桁の番号など何時間たっても覚えていていたりします。私は3歩歩いたら忘れてしまいますが...。本人曰く、見る能力が強いとのこと。私が苦戦していた知恵の輪をちょっといじっただけではずしたこともありました。ただ、全く本を読みません。読むのは写真が多い女性雑誌のみ。そのためかロジカルではないため話がかみ合わないこともよくあります。こういう例を見ていると、IQというのは脳のごく一部の能力を測定するだけなんだろうな、と思います。

 

最後に、IQ 160と言われる車いすの天才物理学者、スティーブン・ホーキング博士のことばです。

自分のIQについて:

分からない。IQを自慢する人間は負け犬だ

そう思います。自慢すべきはIQではなく、そのIQを使って生み出した成果でしょう。逆に言うと成果がない人はIQを自慢するのでしょう。