記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

宇宙

最近放送大学宇宙論を視聴したりしています。宇宙のことを考えるときにいつも感じるのが、宇宙の歴史の中で人類が存在しているときなんてほんの一瞬であること。そして星には寿命があり、何億年か後には太陽にも寿命がくる。太陽が死ねば恐らく太陽系はなくなり、太陽系の生命はなくなるのでしょう。恐らく人類はそれより先に滅亡してそうな気がしますが。 こんなことを思う時にいつも感じるのが、生命や知性体の存在しない宇宙って何?単に水素やヘリウムがあって重力によってあれこれ変化を続け...変化しているけどだれもそれを認識するものはいない世界。それは存在しないのと同じではないか?何の意味があるのか? 同様の気持ちは、自分の死後の世界を想像するときにも感じます。自分の死後にも恐らく宇宙、世界は続く。しかし自分が存在しない、認識できないのであればそれは存在しないのと同じではないか? こんなことを感じますが、よく考えると、”意味”とか考えるのは人類のような知性を持った種族だけなんでしょうね。他の動物や植物はそんなこと考えていないでしょう。根本的には宇宙は単に物質がくっついたり離れたり、を繰り返しているだけなのでしょう。それに”何の意味があるの?”問うてしまうのは、何物に対しても意味を見出したくなる我々特有の、というか、特に何事に対しても意味を見出したくなる哲学的、宗教的な癖なのかもしれません。”意味なんてないよ”それが答えかもしれません。 そういえばニーチェがこんなことをいっていました。 ”ひとは、世界を、われわれにとって明らかであるものから-われわれ自身が理解していると信じているところから、説明しようとした。従って、時には精神から、あるいは魂から、あるいは意思から....我々はいつでも人間化された世界を作り出す” ニーチェって何?―こんなことをいった人だ