記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想ユーザーイリュージョン―意識という幻想
(2002/09)
トール ノーレットランダーシュ

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これは多岐にわたる情報盛りだくさんの凄い本だった。 著者はデンマーク科学ジャーナリスト、トール・ノーレットランダーシュ。主題はサブタイトルの、”意識という幻想”、だろうか。だが、記載されている内容は、主テーマである”意識が幻想であること”に加え、エントロピーゲーデル不完全性定理フラクタル等の内容も盛り込み多岐に渡っている。一般にこうしたはやりのキーワードを盛り込んだ本は受け狙いの内容が薄い本が多いのだが、この本は深みを感じさせる。恐らく、一般の本はよく勉強もしないでキーワードだけ引っ張ってきている本が多いのだろうが、この著者は深く勉強している点が違うのだろう。500ページもある分厚い本で、概してこうした西洋の分厚い本は途中で飽きてくることが多いのだが、本書はぐいぐいと引き込まれあっというまに読み終わる。 特に印象的なポイント ■意識の帯域幅は40bit/秒 我々の感覚器官から流れ込んでくる情報のうち、意識に上るのは100万分の1であるとのこと。つまり、意識は我々が本当に持っている情報のほんのサマリしか知らない、ということである。 ■自己とその世界にまつわる話を作り上げるのは、意識の重要な機能である。 分離脳患者の例などを上げ、以下に意識がストーリーをでっち上げるか、を説明している。このストーリー作りが意識の機能であり、我々が意識して考えていることが以下にあてにならないか、を説明。人は通常自分が考えていることは正しい、と思っているが、それが以下にあてにならないことかが分離脳患者の実験などからよくわかる。ガンガジなど様々なスピリチュアルティーチャーが口を揃えて、”ストーリーを捨てよ”といっていることが思い浮かぶ。自分では自分のストーリーは正しいと思っているかもしれないが、それはまったくの作りごとである可能性がある。そしてそれは自分では決してわからないというのがポイントだろう。 ■プリンストン大学のジュリアン・ジェインズは衝撃的な仮説を発表した。「二分心の崩壊にたどる意識の起源」の中で、3000年前の人類は意識を持っていなかった、と主張した。 これは衝撃的な説ですね。ただ、動物も意識をもっているかどうか怪しく、人間もどこか進化の過程で意識を手に入れたのであれば昔の人類は意識を持っていないということになるのだが、それが3000年前というのはなかなか衝撃的な説だ。エジプトや中国の古代文明は意識なく生まれたということになる。ただ昔の人々の意識というのが現代の人の意識よりも割合が小さいのは確かだろう。現代でも、例えば一日中単純作業をしている人などはほとんど無意識で動いており、意識の割合は小さいだろう。意識は生活に余裕の生まれた現代に肥大化しているのかもしれない。鏡の使用が広く広まった中世に自意識が肥大化した、という説もあるらしい。 そして著者は最終ページでは下記のように述べている。

したがって、意識はそれ自身にとって危険な存在になってしまった。自身がただの意識であり、ほんとうの世界のありようではないと意識していないからだ。...意識はそれほど多くの情報を含んでいない。...人は意識の中にある情報も必要としている。それは、ある土地を歩くのに地図が必要なのと同じだ。だが、ほんとうに大事なのは、地図を知ることではなく、その土地を知ることだ。世界は地図で見るよりはるかに豊かだ。

エックハルト・トールやジョーン・トリフソンといったスピリチャル・ティーチャー達がいっていることと非常に似てますね。いつも思いますが、アドヴァイタ系のグル達と、脳科学・心理学の人たちが言っていることは非常に似ていると思います。恐らくこれが真実なのでしょう。 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?の著者、慶応大学の前野先生もこうした主張を述べている人の一人。ロボット研究の過程で受動意識の着想があり本にしたところ、実は東洋思想や現代心理学では同じような主張が既に沢山の人から出ていることに気がつき驚いたとのこと。その前野先生の講義がYoutubeにあったので見てみました。おもしろい。様々な実験結果を基に、意識の受動性を述べています。この方、宗教や哲学に全く素養のないロボット科学者だったようですが、そうした方がロボット研究の過程で東洋思想的なものに行き着いた、というのが非常におもしろいですね。 印象的なポイントとして、下記点がありました。特に2点目は説得力があります。 ・意識は「無意識の結果」を見ているだけである。意識は部下が全てやってくれている馬鹿社長である。あるいは、自分が社長だと思っている社史編纂室長である。 ・進化論的にも、受動意識モデルのが自然である。意識が生じる前の動物や昆虫は無意識で行動を決定している。そこから意識が生まれて、意識が行動をコントロールするというのはギャップがありすぎる。分散的なモデルと中央集権的なメカニズムではモデルが違いすぎる。無意識のモデルに進化の過程で、ちょろっとエピソード記憶のための意識というものが付け加わったと考えるほうが自然である。