ココロとカラダを超えて―エロス・心・死・神秘 (ちくま文庫) (1999/04) 頼藤 和寛 商品詳細を見る |
- たとえば肉体です。これはどうやら在るらしい。しかし、次の思考実験で理解できるように、あくまで「在るらしい」です。...たとえばあなたの脳だけをとりだして頭蓋咥内と全く同じ人口の環境に容れます。そして入力系の神経束から生前とよく似たパターンの電気信号をコンピュータか何かで送るとします。....これで原理上、あなたの脳は整然と全く同じ体験をするでしょう。P.76
- たとえば、目の前のコップを移動させて口にもってくるにせよ、我々の頭を移動させてコップの方をもっていくにせよ、心だけでは不可能で手や顎の筋肉を収縮させ関節を動かす必要があります。...こうした行動に心はどう関与しているのでしょう。ふつう心が命令を下すので筋肉が動くと因果的にとらえています。しかしもっと整合的な考え方として、随意神経を介して筋肉にアウトプットされる途中の脳回路活動が、心に命令感として現れるという唯物論的観点があります。こうなると、別にこころが命令することは行動の原因とも限らず、単に先行する随意現象ということになるでしょう。P.97
- おまえは多くを経験した、考えた、学んだ、選んだ。ちょうど白い書物に次々と文字が印刷されていくように。...そして、おまえはそれを本と呼ぶ、本と信じる、扱う。しかしそれは紙である。汝はそれである。ところどころインクで汚れた紙の束を書物と考えるところから、おまえの迷いが始まる。...おまえはもともとギャーギャーわめく肉の塊だった。いや、そのギャーギャーまめく肉塊を、われわれが「おまえ」と呼んだのだ。その後、人々が肉塊を「腕白」と、「秀才」と、「男」と、「バラモン」と呼んだ。...おまえは家族に属する。おまえは会社に属する。お前は国家に属する。おまえは人類に属する。しかし、これらすべては、人々が肉塊に、肉塊自身が肉塊に、言い続けてきたことにすぎない。...おまえは紙そのものであるのに、そこに書かれた物語と理論と詩と冗談を自分と信じる。そこにはあらゆるものが書かれうる。...いかように書かれても、いかように思い込まれても、いかように定められても、それらは紙々と関わらない。あたかも火の前では、良書も悪書もかわりがないように。P.238