記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

お経のひみつ

著者は日本女子大教授などをされていた宗教学者、作家の島田先生。平易な文体で仏教、お経の概説がされておりものすごくわかりやすい本だった。仏教にはさまざまな異なるお経があるがその位置づけが明快に整理されていて良かった。般若心経は部派仏教→大乗仏教密教の流れを端的に示すお経だという説明もとてもわかりやすくイメージを喚起する。

 

大乗仏典は直接の釈迦の教えではないわけだが、昔の人はそうは思っておらず大乗非仏説というのが唱えられたのは江戸中期とのこととのこと、というのは非常に重要だと思う。本を読むときには、どういう立場の誰が書いたのか、ということが非常に重要なわけだが、江戸時代中期以前の人々はこの大前提を勘違いしてお経を読んでいたことになる。著者はこれが特に法華経が諸経の王と呼ばれたことと関係する、と指摘する。法華経はそれ以前のお経は法華経へ導くための方便である、と説いており、これを読んだ昔の人が法華経こそが釈迦の本当の教えだ、と思ったのだろう。

 本書では法華経についても明快な解説がある。法華経の柱は、方便品と如来寿量品であり、如来寿量品で釈迦が明らかにするのは、自分が成仏したのは現代の世の中のことではなく、はるか昔で、さらに未来においても不滅であるということを明らかにする。こうした釈迦が永遠の存在であるといったことを久遠実成という。日蓮宗の総本山である身延山久遠寺もこれに由来する、とのこと。

 こうした解説を読むと私は益々法華経の価値がわからなくなる。法華経は釈迦ではない誰かが書いたわけだが、釈迦が永遠の存在であるといったその根拠は?、等々、疑問だらけである。私は空の思想が説かれる般若経の方が好きだ。本書では般若心経の解説もわかりやすかった。