記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

進化しすぎた脳

進化しすぎた脳 (ブルーバックス)進化しすぎた脳 (ブルーバックス)
(2007/01/19)
池谷 裕二

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これはヒットでした。おもしろくてあっというまに最後まで読みました。 若手の脳科学者、東大薬学部准教授の池谷裕二さんが高校生向けに語る脳科学の最前線。脳の構造から意識とは何かといった哲学的な問題まで縦横無人に語ります。慶応義塾ニューヨーク高等部で行われた講義だそうです。慶応にはそんなのあるんですね。さすが気鋭の脳科学者、切れ味するどいです。 脳科学と言うと何かと話題や批判の多いもう一人のM先生を思い浮かべますが、この方は珍しく一般からも専門家からも尊敬されている方のようです。M先生は少々うさんくさい気がしますが、この方は厳密な議論の進めかたなどより科学者っぽさを感じます。 それにしてもM先生は元ソニーの研究所、池谷さんは薬学部、ですが、脳科学はいろんな所で研究されているんですね。医学部メインで研究しているものかと思っていました。 いろんな話題はおもしろいのですが、まだまだ研究としては発展途上で統一理論がないとのことです。確かに数学や物理と比べて、学問というよりは事実の寄せ集めという印象を受けました。なかなかうかつには手を出せない、脳、が研究対象だからでしょう。 印象的な点は、脳と言うのはコンピュータのように(とうか、コンピュータが脳を真似てるんだな。神は自分に似せて人を作ったと言うのと同じで)、かなりあれこれ情報の補間や制御をしている装置なんだな、という点です。実際人間が受け取っている画像等は細切れなのにそれをうまく補正してスムーズにする、とか。また我々が感じている恐怖も生存のための脳の機能である。 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? で受動意識仮説、を読みましたが、ますますその感を強くしました。こうした研究が進むと”人間観”は大きく変わっていくかもしれません。 その一方、こうした人間観はアドヴァイタの覚者たちが繰り返し述べている聖言を裏付けるものともいえる気がします。人は自分であれこれ決定して人生の手綱を握っていると思っているが実はそれは幻想だということです。 あなたが決定をするということはない。ただそうすると思っているだけだ。何か他のものが、あなたに物事を為すように駆り立てている。ただそれに気付いていないだけなのだ。思考過程に忙しくしている間はそれに気付くこともないだろう。... パパジ 印象に残った点。
  • 報酬系の神経を活用して、ネズミをラジコンにする研究が成功した。
  • 脳の大きさは人よりイルカのほうが大きい。
  • 大脳皮質は全ての哺乳類で6層構造を持っている。
  • 池谷さんの研究では主にネズミを研究対象にしている。
  • 脳はそれぞれ制御する身体に対応した部位がある(体性感覚野)。それを表す脳地図が作られている。
  • 第五視覚野は動きを認知する個所。ここに損傷を受けると動いているものが見えなくなる。ボールが止まっていると見えるが動き出すと見えなくなる。
  • 水頭症にかかり脳が健常者の10%になったのに大学の数学家で主席を取った人がいる。実は脳はかなり余裕がある。進化しすぎていて体がそのリミッターとなっている。将来予期せぬ環境に出会った時に対応するための余裕といえる。
  • 人間の視神経は100万本。デジカメでいうと100万画素程度しかない。それなのに風景がガクガクに見えないのは、脳が補正処理をしているから。脳は飛び飛びの情報の中間を埋めて滑らかにする機能がある。
  • 脳の時間はコマ送り。最低単位が10ミリ秒程度。これ以下の時間は同時と認識される。
  • 人間はかなり昔から光の三原色により全ての色が再現できることを知っていた。後に生物学が発展して、眼が、赤、青、緑、に対応した色細胞が網膜から見つかり驚いた。でも実はこれは驚くべきことではなく、当然。網膜に3色に対応する細胞があったから人間にとっての色の三原色が3色になった。もし赤外線に対応する細胞があったら光は三原色にならない。人間の目は世の中に存在する電磁波の限られた波長しか感知できない。
  • 網膜の色を感じる細胞は周辺に行くとほとんど密度がゼロになっている。実は人間は周辺の方では色を認識できていない。実は脳が色を補っているだけ。実際実験してみると、周辺の方でのクレヨンの色は認識できない。が、中心部で赤と認識したクレヨンは周辺にもっていっても赤と認識される。これは脳が補正しているから。
  • 覚醒感覚、つまり音楽を聴いて美しいと思ったり、悲しい気分になったり、林檎を食べておいしいとか、こうした生々しい感覚をクオリア、という。多分ラテン語。僕らが世界を体験しているという実感。
  • 人がボタンを押す実験でわかることは、無意識が動かそうという準備を始めてから、「動かそう」というクオリアが生まれる。体を自分の意識でコントロールしているつもりになっているだけ。自由意志というのはじつのところ潜在意識の奴隷にすぎない。クオリアというのは脳の活動を決めているものではなく、脳の活動の副産物である。
  • 恐怖を生み出すのは「扁桃体」という場所。ここは危険な体験をしたという記憶を脳に植え付けるために重要。ただ扁桃体の活動にはクオリアはない。クオリアは脳の別の経路で生まれる。
  • 扁桃体」がなくなると恐怖がなくなり、本能が剥き出しになる。扁桃体を破壊した猫を同じ檻に入れたら性欲剥き出しの目も当てられない状態となった。
  • 人間に記憶はわざと曖昧にしている。写真のような記憶力だと変化に追従できない。髪型や服装が変わった人を同一人物と認識できない。下等な動物ほど記憶が正確でなかなか消えない。
  • 今の脳科学者は知識が断片。知見のひとつひとつが大きなストーリーとしてつながってこない。そのためのフレームワーク、統一理論のようなものを待っている。