記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

脳の科学史 フロイトから脳地図、MRIへ

脳の科学史  フロイトから脳地図、MRIへ  角川SSC新書 (角川SSC新書)脳の科学史 フロイトから脳地図、MRIへ 角川SSC新書 (角川SSC新書)
(2011/03/10)
小泉 英明

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著者は日立の研究所のフェロー。長年脳科学のための機器開発や製品化に携わってきた方。 本書の主題は”脳の科学史”で、脳の役割を歴史的事実から紐解く、であるが、計測機器の開発に携わってきた方だけあってMRI,fMRIなどの機器に対する解説も豊富である。 脳の研究がどのように行われてきたかの歴史が述べられている。特に精神分析で有名なフロイトが実は神経科学を研究していた背景があり、フロイトの無意識の理論が現代の脳科学の理論に非常にあっているということでフロイトを高く評価しています。 特に印象的な箇所。

脳の伝達は並列分散処理で、分業しているところは意識化になって上がってきません。すべての処理がだいたい終わると、コンピュータのように逐次処理になります。すると道が一本になり、意識の残って自分が何を考えているのかを知ることができるのです。並列処理から逐次処理に代わって、一つのことしかないため、やっている過程が意識の中で見えてくるのです。... 一番重要なことは、脳は並列分散処理をしているので、多くが意識化で行われているということです。そのため、意識には上がってこないことが、たくさんあるのがポイントです。... そこで精神分析と脳が繋がります。それをフロイトは「エス」と名付けています。無意識の中で、辺縁系の本能のところで、セックスとか睡眠夢などをつなげてきました。フロイトは、意識の上には現れないものが、我々の行動の基本的な部分を支配しているのだと言います。それが非常に言いすぎだということで、反論者も多かったのです。脳科学から見ると、脳の構造とフロイトの考えは、基本的にはあっています。

人間の脳の活動で、意識できるところというのはほんの一部だということでしょう。実存主義構造主義から批判されたのはこういった点でしょうか。我々はついつい自分が自分の人生の中心、主人公、のように思ってしまいますが、実は意識というのは脳の活動のほんの終端なのでしょう。前野隆司さんは脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?などの著書の中で、意識は自分が自由意思を持っていると思っているが、実は無意識の情報処理の結果が渡されているだけに過ぎない、と述べています。これはラメッシ・バルセカールなどが「誰が構うもんか」などで述べている、”人間に自由意思はなく、起こることをただ楽しみなさい”といった教えに通じるものがあるような気がします。 この無意識の情報処理というのは日常経験からも非常にうなずけます。突然夜中などに仕事の将来の問題の可能性などがありありと浮かんでうなされることがある。全く意識していないのに、無意識の中で自分は仕事のことをあれこれシュミレーションしていたのだ、ということがわかります。そしてシュミレーションして、やばそうなことに気づくと、それを意識に、何かActionを起こせ、とアラートを上げる。そんな無意識の情報処理をつくづく感じることがあります。ほとんど100%それは杞憂で終わるのですが。自分で意識はしてなくても、自分の脳は休日でも仕事をしてるんだな、ということがわかります。そうしたときに非常に不安感に襲われることがありますが、休日にあれこれ考えても仕方ないので、あまり気にしないようにしています。なんというか、この脳の、無意識化のシュミレーション→意識へのアラート、というプロセスは恐らく危機管理において重要なメカニズムだという気はしますが、現代においては役に立つというよりはどちらかというとストレスを増大させ悪影響のが大きいように思います。生きるか死ぬかの戦時中などでは有効な機能なのでしょうが。恐らく人間が古くから持っている古典的な危機管理の機構、という気がします。