十牛図入門―「新しい自分」への道 (幻冬舎新書) (2008/03) 横山 紘一 商品詳細を見る |
- 須らく尋言逐語の解行を休むべし。回光返照の退歩を学ぶべし(道元禅師、普観坐禅儀) 言葉を用い知性をはたらかせて追求することをしばらく止めて、光を内にめぐらし照らしてみなさい。...意識のスポットを心の内部に向けて照らすことでそこには言葉でも記号でも情報でも表せない「いのち」が存在していることに気が付きます。P.50
- 私たちは現象として現れてくる事柄を、否応なしに時間と空間の枠で認識せざるをえません。それを哲学者カントの言を借りて言えば、”先天的直感形式”である時間と空間とで現象をとらえざるをえないのです。その「与えられた認識」から抜け出て、「養成された認識」に変えていく必要があります。養成された認識形式では、新しい時空、「いま」「ここ」という時空を捉えることができます。不生不死の世界に触れることが出来ます。P.79
- 釈尊は死後の自分はあるかないか、という質問に「死後は非常非断(常に非ず、断にも非ず)である」と一刀両断した。有るか無いかどちらかである、というのはギリシャに源を発するヨーロッパ的思考に基づいている。P.81
- 言葉と言うものは、私たちが心の中にばらまいた塵ほこりです。...「生の存在」とは、”自分”の意図とは無関係に生じた「人々唯識」の世界、一人一宇宙の世界、ただ心だけの世界です。...その中で、多くの人が、”自分”の方から、意図的に能動的に言葉を発することによって、その生(なま)の世界を加工し、「有るか無いか」の世界に変貌せしめてしまったのです。P.84