記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

中学受検

 都立中学の受検に関して思ったこと。

 都立中学の受検では自ら考える力を求められる。このために重要なのは、過去問をやってパターンを覚える事ではなく、地頭を鍛えることが重要と考える。パターンを覚えれば似たような問題が出れば対応できるが、そうでない問題が出た場合に対応できない。そのために重要なのは、子供に問題を出してわからないときにすぐに回答を教えるのではなく、じっくりと考えさせて脳を鍛える事だろう。

 なんというか、植物の根と茎・葉の例えでいうと、問題のパターンを覚えるのが茎・葉だとして、地頭を鍛えることは根をしっかり這わせることだろう。ついつい茎・葉の方に目がいってしまいがちだが、そうではなく根に目を向ける視点の転換が必要だろう。これがすごく重要なポイントではないかと最近思う。子供が問題を解けない時にすぐに回答を教えて覚えさせればその問題は解けるようになるかもしれないが、地頭は鍛えられていないだろう。

 こんなことを思ったのは、先日小2次男に算数を教えているとき。割り算の文章題でわからない問題があったのだが、すぐに答えを教えず自分で図を書かせて考えさせたところ、”あ、わかった”と非常に納得した形で答えを導いた。これだ、と思った。こうしないと本人の能力は伸びないのだろう。この時、親に必要なのは忍耐強さである。忙しいのでついついすぐに答えを教えたくなるが、そこをじっとこらえて待つ。

 そういえば、自分も大学受験のときにそのような学習であった。私は高2まではあまり勉強せず成績もぱっとしなかったが、高3で真剣に勉強して急激に伸びて難関大学に合格した。特に数学が伸びたのだが、そのときの勉強方法は、パターンを覚えることを全くせず、数学の問題を納得できるまで徹底的に考え抜く事だった。最初のうちはなかなか解けないし、また一問に時間がかかるので多くの問題をこなせないのだが、そのうちに数学の成績が急激に伸びていった。これは上述した根を鍛える勉強であったのではないかと思う。よく”数学なんてやっても役に立たない”といったことを聞くが、これは上述の例でいうと茎・葉しか見ていないためだろう。数学をやって根っこの地頭を鍛えればそれは多方面で活きるはずである。

 これは企業での部下育成にも通じる事である。コーチングとして重視されるのは、部下に自ら考えさせることである。上司がああしろ、こうしろ、といっても部下が腹落ちしていないことはすり抜けがちである。そうではなく、部下自身にどうすべきか考えさせる。そして自ら納得した方向で部下がかわっていく。そのために必要なことは、部下自身に語らせることである。上司が一方的に話すお説教の対極的な指導であるが、最近の主流の認識である。

 子供に算数を教える事でも様々な気づきがあって非常に興味深い。