記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

怠け数学者の記

怠け数学者の記 (岩波現代文庫)
怠け数学者の記 (岩波現代文庫)小平 邦彦

岩波書店 2000-08-17
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数学を理解するということは、その数学的現象を「見る」ことである。「見る」というのは勿論目で見るのとは異なるが、ある種の感覚によって知覚することである。私はかつてこの感覚を「数覚」と名づけたことがある。....数覚の鋭さは、一寸説明し難いけれども、論理的推論能力とは異なる純粋な感覚であって、数覚の鋭さは、たとえば聴覚の鋭さ等と同様に、いわゆる頭の良し悪しとは関係がない。...将来人類が進化して数覚が発達した暁には、現在われわれが苦心して証明している定理が数覚によって一目両全に証明なしにわかるようになるのではなかろうか?(P.24-27)
フィールズ賞数学者、小平先生のエッセイ、回顧録。いろんなところに投稿したものを集めたもののようなので内容に重複があるのはいまいちだが、さすが天才数学者のエッセイで参考になります。 小平先生はよくこの数覚について語っています。わたしも同感です。学生時代に異様に数学のセンスがよい友人がいましたが、彼がではものすごい頭が鋭く切れまくりか、というとそんな感じもなく、ぼーっとしている印象でした。普通に会話しているレベルでは、彼が天才的な数学のセンスの持ち主であることは決してわからないでしょう。そうかと思うと、会話しているだけで頭のよさがよくわかる切れまくりの人が数学ができない、といったこともあります。頭の良さと数覚が違うものだ、と小平先生は良く語っていますが、同感です。目が良い、というのと同じように、数覚が良い、といったレベルのものなのでしょう。そう考えるほうが、ガロアガウス、リーマンといった天才数学者たちの存在が納得できます。彼らは異常に頭が良い、というよりは、人に見えない数学的現象が見えてしまう、そういう風に捉えるほうが理解できます。ガロアは10代にして天才的な理論を打ち立てますが、人には見えないものが見えてしまったのでしょう。また、数学を勉強しているときに感じる、なかなかわからなかったものが突然わかって、その後は当たり前のように思えてしまう感覚、まさに見えた、という感じですね。そしていったん見えたものはなかなか消えない。私も学生時代数学を専攻し、その後長い間離れていましたが最近また数学の勉強をするようになり、結構覚えていることに驚きます。これは自転車の乗り方を一旦覚えたらその後も忘れることはない、という感覚に近い気がします(勿論細かいことは忘れてますが)。中途半端に理解したものはすぐ忘れてしまいますが、ちゃんと消化し感覚的に理解したものは忘れないものですね。 そして小平先生はこの数覚を磨くには、ピアノを習得するのと同じように日々の練習といった努力が必要である、と述べています。日々の努力ですね。私も磨いていきたいところです。