記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

こころの情報学

こころの情報学 (ちくま新書)こころの情報学 (ちくま新書)
(1999/06)
西垣 通

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情報学者で東大教授、西垣通さんの著書。情報学的観点からオートボイエーシス、アフォーダンスといった理論を交え心を論じます。いろいろな学説を交え心を論じている点はおもしろいですがいまいち結論が見えにくいという印象。でも良い本でした。 西垣通さんは日立の研究所でOSやネットワーク、データベースなどの性能設計や信頼性設計を研究したのち東大へ。東京大学情報学環教授。東大には情報学環という文理融合した様々な分野の研究者が集まり情報を研究している組織があるのですね。興味深い組織です。情報という学際的な領域は面白いと思います。 印象的なのは下記にも述べている情報の定義。情報を生命と絡めて定義しています。我々理系の人間には情報の定義というとシャノンの情報理論による確率に基づいたものがなじみ深いですが、それは意味内容を無視したものであり、我々が自然に持っている情報の概念とは違うといことで、生物と絡めた情報の定義を提示。興味深いです。しかしこの情報の定義は定量化できるのだろうか?こうした観点で情報を追及していくのが情報学という学問のようで、他の本も読んでみましたが内容が抽象的で、学問として今後発展していくのか、少々疑問を感じました。しかしながら興味深いです。また、企業でコンピュータの研究をしていた研究者がこうした哲学的な情報の研究をしているという点もおもしろい。コンピュータから心理学、哲学まで非常に守備範囲の広い方という印象です。自分の書評を読み返してみると、興味深い本を書いている人は塚谷裕一さん、池谷裕二さんなど東大の先生が多いです。やはり東大の先生は一味違うという印象があります。 以下、印象に残った点。
  1. 工学における情報とは、「(複数の場合において)どれが起きたかを教えてくれるもの」。つまり、工学における情報とは「意味内容」を無視した機械的なもの。各場合の生起確率にもとづいて情報量が定められる。したがって、我々が漫然とイメージを持っている非機械的な情報量、すなわち「意味内容の量」とはまったく別次元にあり、無関係といってもよい量である。(P.21)
  2. 情報は生命とともに誕生した。生命発生以前に自然界が作っていたパターンは情報とは関係ない。(P.28)
  3. 情報の定義 「それによって生物がパターンを作り出すパターン」 P.32
  4. コンピュータに文脈や情報を判断させようとすると「フレーム問題」に突き当たる。ひとは有る状況のもとで自然に問題を構成する。今問題となっている、注目すべきことはな何なのかを一瞬にして選び取りそして行動を起こすということでその問題がいかにして解決させるかを直感的にすばやく判断する。しかしコンピュータにはこれができない。P.68
  5. ハイデッガーによればわれわれの周囲にある事物は普通は背景の中に埋没している「道具的存在」にすぎない。客観的に性質を記述できる「事物的存在」となるのは何か特別なきっかけがあった場合だけということになる。...コンピュータの言語理解に於いては、原理的には宇宙のすべての事物が「事物的存在」ということになる。コンピュータの言語理解に於いてはハイデッガーの主張によると、人の世界解釈とは根本的に異なるということになる。P.73