記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

アドヴァイタ一考

私たちは一日中何かあれこれ考えています。過去のことや未来のことや。そして何となく、この考えている自分を本当の自分だと思っています。ただ実際は一日中考えているわけではなく、空白の時間もあるはずです。しかしそれはなかったこととして無視して、考えたことだけを記憶しています。つまり、考えている状態を自分だと思っていて、考えていない、あるいは感じていない状態は記憶に残らず無視している。 しかしながら、パパジ、ガンガジ、エックハルト・トール等のアドヴァイタ系のグルたちが口を揃えて言っていることは、それは逆だ、ということなのかもしれません。考えていない状態が本来の自分で、そこにあれこれ思考が湧きあがってきている。考えていない状態の中には時間も過去も未来もない。その中に、時間、誕生、死、といった概念、思考が浮かんできてイメージを作り出す。こうした意識の転換、shift、有から無へのフォーカスの移動、これが彼らがいいたいことなのかもしれません。 こうしたフォーカスの移動のイメージで私が一番わかりやすかったのが、ティモシー・フリークの「気づきの扉」で記載されていた、三次元画像を見る例。目では見ているはずなのになかなか見えないのがちょっとしたコツをつかむと急に点の集まりが生き生きとしたイルカに見えるようになる。そんなイメージなのかもしれません。 気づきの扉 我々はしばらくの間であれば無思考の状態にいることができます。が、すぐに思考に乗ってしまい幻想の世界に入ってしまう。そうではなく思考の誘いに乗らないで無思考の状態で思考を眺めていく、それで十分、こういうのが彼らの主張なのかな、と思います。特にガンガジやパパジは、それは全然難しいことじゃなく誰でもすぐにできることだ、といいます("Just be quiet.This quiet does not involve talking or not talking.It does not involove any doing whatsoever.Just let the mind into silence.This is enough."と言っています(Wake Up and Roar)。我々が難しいと思ってしまうのは、この無思考の状態からまた思考の状態にフォーカスが移り、”あー、駄目だ、私の状態は何も変わっていない、私は以前のままだ、彼らグルとは違う。何故なら私には超絶的な体験が起こっていない”といった声にはまってしまうからなのかもしれません。そういう声が起こってもそれは単なる思考、一般人とグルを区分する二元論の思考、として気にしないでただ静かにしている、そんな単純な事なのかもしれない、と最近思いました。パパジは私は悟ったとか、悟っていないというのはコンセプトでしかない、どちらも落とせ、と語っています(Wake Up and Roar)。 この時に重要なのが、上の例でいう””あー、駄目だ、私の状態は何も変わっていない、.."といった声に乗ってしまうこと。こうした声も一つの思考に過ぎない、と気が付くのが重要なのでしょう。しかしながら人は何故かこうした声に特権を与えて特別視してしまう。クリシュナムルティがいう、”観察者”なのでしょう。クリシュナムルティは口酸っぱく、”観察者は観察されるものである”ということを力説します。自分が特権を与えてしまっているこうした声、自分が自分だと思っているもの、これも他の思考と同列の思考に過ぎないと気が付くことが重要なのでしょう。これをエックハルト・トールは"Power of Now"の中で、"When you listen to that voice,listen to it impartially."(P.18)と述べています。impartiallyとは”公平に”といった意味ですが、要するに思考に優劣をつけて、特権的な思考が他の思考を批判したり制御したりしないようにすることが重要ということだと思います。我々は何故か特権的な思考を作りがちで、これがクリシュナムルティがいう”思考者”"観察者"なのだと思います。 参考: 有ることと無いこと この有ることから無いことへフォーカスを移せ、人は有に目が向くけど、有は無がなければないんだよ、ということは古来の老子などの賢者が口を揃えて言っていることです。クリシュナムルティも時々語っています。 ただそれだけ 私とは、たえず自分と一緒にいるように見えるこの「私」という観念だろうか?たえず一緒というけれど、それはどの程度そうなのだろうか?実は、注意深く観察してみると、それは存在していません。人は、「私は在る」「私は在る」「私は在る」と一日中考えているわけではありませんし、「自分」に関することを一日中考えているわけではありません。一日の中でそうした想念が湧いてくるのは、数えるほどでしかありません。しかし、本来のあなたである知る働きは常に存在しています。(セーラー・ボブ・アダムソン ただそれだけ、P.194より) The Diamond in Your Pocket - 20,THE MIND'S SURRENDER TO SILENCE Stopping is,first of all,recognizing that as thought arise,you have a choice: your mind can either follow the thouhts or to be still,letting them arise without touching them. Stopというのはまずなによりも、思考が湧きあがってきたとき、あなたには”それについていく”のか、”触らないでそのままにしておくのか”の選択肢があることを認識することだ(ガンガジ)。