記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

自分という「もんだい」―“私”と“世界”をめぐる哲学ノート

自分という「もんだい」―“私”と“世界”をめぐる哲学ノート自分という「もんだい」―“私”と“世界”をめぐる哲学ノート
(1997/07)
小阪 修平

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小阪 修平さんの”そうだったのか 現代思想”が良かったので、Amazonで引き続き小阪さんの本を探しておもしろそうなこれを注文しました。ほんとにAmazon便利ですね。 デカルト、カント、フッサールサルトルの思想を引き合いに”自分”について考察します。これも明快でおもしろかったのですが、途中から斜め読みになってしまいました。もっと若い頃なら夢中になったのでしょうが。 印象に残ったのは、P.115のウィトゲンシュタインの思想の紹介。 ・僕たちに思考可能なものは全てI think をつけることができる。  すなわち、 I think ~ 「世界、つまり全ての可能なことがらの全体(文)」 ・ここから、この世界の中には私が存在しないという原理が帰結される。 ・もしこの世界の中に「私」つまり語っている主体があるというならば、それは世界を見ている目が自分をみるようなことだ。つまり語りえぬものについてかたっているのである。 ・語りえぬものには沈黙しなければならぬ。 おもしろいです。確かに”私”というのは私が言葉で表現できる外にあり、そもそも言葉で表現不可能なものかもしれません。