ひとは、世界を、われわれにとって明らかであるものから-われわれ自身が理解していると信じているところから、説明しようとした。従って、時には精神から、あるいは魂から、あるいは意思から....我々はいつでも人間化された世界を作り出す
思考の本性には、それが制約されたものに無制約なものを加えて考える、加えて考案するということが、属す。それが、その出来事の数多性に「自我」を加えて考え、加えて考案するように。それは、世界を、それ自身によって設定された寸法においてだけ、測る。
今ようやく、われわれの精神の働きの大部分がわれわれに意識されず、感じられずに進行しているという真理が、われわれに明らかになっている。
認識は、多数なものと、数えられないものの、同等なもの、相似したもの、数えられるものへの偽造だ。
何か知らないものを知っているものに還元することは、楽にし、静め、満足させ、そのうえ力の感情を与える。知らないものとともに危険、動揺、心配が与えられる-第一の本能はこの苦しい状態を取り除くところまで行く。
著者は
早大文学部卒という以外何者かよくわからないが、高校時代より
ニーチェに接してきた人らしい。
ニーチェのことばが随所に引用されているが、他の本ではあまり見たことがないものが多く新鮮かつ非常に刺激的なことばが並んでいた。主著以外のところからもいろいろ引っ張ってきているのだろうか。”世界のつるつるした平面に傷をつけ、堅牢に見えた建物の基礎を掘り崩してしまった
ニーチェ”とありますが、
ニーチェはそんな危険な印象があります。
上で引用しているところは、自分で考えることにより真理への到達を目指すという従来の哲学の根本に疑問を投げかけています。