記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

般若心経講義

般若心経を、俳句や文学など様々に絡めて紹介しているが、そうした周辺の話への発散が多く、肝心の般若心経、空、が結局なんであったのか読んだ後に印象に残らない本だった。雑学として読むのは楽しい。

つくづく思うが、仏教系の学者が書くお経の解説は、ピンとこないものが多い。私は中学生くらいから何故か仏教に興味を持ち、仏教系の本を読み漁った。しかし何だかよくわからなかった。だからなに、どうすればいいの、という印象だった。今考えると、書いている本人も字面の意味はわかっていても真によくわかっていなかったからだと思う。

そんな私は大学の頃にクリシュナムルティの本に出会い強い衝撃を受けた。仏教系の学者が解説レベルの文章であるのに対し、クリシュナムルティは正に自分の目の前にあるものをそのまま語っているような迫力が感じられた。要するに、自分の言葉で語っているのか、そうでないか、といったところだろう。最近だと、ジョーン・トリフソンなんかが道元のことを時々語っているが、彼女の語る内容の方が仏教学者が語る内容よりよっぽどわかりやすい。本書を読んで、そんな体験を思い出した。

これはクリシュナムルティの動画や音声を観る/聞くするとよくわかる。正に自分の言葉で語っている迫力を感じる。この事実を伝えたくてしょうがないんだ、という熱意を感じる。一方TVなどで見る仏教学者の語りなどを見ると、非常に淡々としていて、評論家的というか、他人事感を感じる。

これはビジネスやセールスに通じるものがあると思う。何かを売り込みに行く際、自分が本当にいいと思って強い熱意をもって自分の言葉で売り込む場合と、セールスマニュアルを読んでマニュアル通りに売り込む場合、伝わるものが全く違うのだと思います。セールスマニュアルがあればセールスができるというものではないでしょう。実際に自分がその売りこむものを使って、良いものだ、と納得する事が必要なのでしょう。クリシュナムルティを観ているとそんな気づきがありました。