無人島に一冊持っていくならこの本、といってよく話題になる歎異抄。大昔読んだ気がするが、どんなことが書いてあったのか気になり読んでみた。
三田さんによる意訳はとても読みやすい。そして、あれこれ浅はかな人間の計らいを捨てて阿弥陀さまの本願を信じて念仏を唱えよ、という親鸞の教えもシンプルでわかりやすいと思う。
しかしなぜ阿弥陀様の本願を信じられるのかが全くわからなかった。そこは理屈ではないようである。信じるものは救われる、といったところか。このあたりついていけずもやもやするばかりで半分くらいで挫折。
”我を信ぜよ”と主張するカルト宗教が乱立する中で”信じる”という行為は非常に危険と思う。本書にも書いてあるが、親鸞の教えの下となる浄土三部経は釈迦の時代から五百年ほどのちに生まれたものである。その誰が書いたんだかさっぱりわからないようなものをどうして信じることができるのか。親鸞の時代には恐らくお経に書いてあることは正しいのだから弥陀の本願を信じる、といったことになるだろうが。親鸞の教えを信じている人は本当に阿弥陀さまがいると信じているのだろうか。信じているとしたらなぜ浄土三部経を書いた人は阿弥陀さまの存在を知ることができたのか、もやもやするばかりでさっぱりわからなかった。