過去にも未来にもとらわれない生き方 (2009/07/01) ステファン・ボディアン 商品詳細を見る |
- 禅では悟りそのものについて説明されることはめったにない。それは偽りの目覚めを避けるために意図的に避けられている。
- 多くの人が今、瞑想やその他定まった修行を実践しなくても自分に備わったスピリチャルな本性を発見しつつある。多分それは今が情報社会であり、携帯電話やeメール、ウェブサイトやブログのおかげかもしれない。しかし今、目覚めは宗教的な装いを捨て去り、ありのままの姿、誰もが今ここで獲得できる普遍的な人間の経験なのだということを示し始めたように見える。
- 本書では繰り返しあなたの本当の姿を直接に指し示し、ことばがあなたの中で共鳴して、自然に目覚めが起こるようにする。
- もし次の世代に影響を与えたいと願うのであれば,一番大切なことは自分が目覚めることです。自身の陣税の中で、本当の自由を体現して下さい。
- この本をあまり真剣に受け取らなくて良い。気分が共感できるところを気楽に覚えておけば良い。
- 「私はまだ悟っていないというその心こそ、悟りへの唯一の障害なのだ(ラマナ・マハリシ)」
- あなたは常に外側の対象に向かって注意を向けているが、視線を内側に向け、見ているそれ自身に注意を向けることはめったにない。多くの聖者は、「目はその目を見ることができない」という。
- 漸近的なアプローチは、本当の自分を見つけるためには努力しなければならないという信念を強化してしまう。私は師に、「探し求めている者こそが捜し求められている者である」といわれ自分が何者であるかを悟った。
- 漸近的なアプローチは必ずしも必要条件でない。僧院や寺にこもって修行しながら一度も悟りを見なかった何千、何万の修行者がいる一方、一度で目覚めるスピリチュアルな師もいる。慧能は金剛経を少し聞いただけで悟った。
- しっかりと修行をすればやがて本来の自分を発見できるのだと言う思いは、今ここに現前していて容易に発見できるという可能性を閉ざしてしまう。
- 本来のあなたはあなたの呼吸よりも近いところにあり、努力しなければならないという信念は本来のあなかたかあなたを遠ざけます。
- 世界の宗教は、多くの根本的な真実を概念や思考で作り上げようとする文書であふれている。それは何世紀にもわたっていて、やがて信条と化し、探求者に重荷となってきた。
- この本のことばを文字通りにとらえないで、内部で共鳴するにまかせて、本のことは忘れましょう。
- どんな正しい地図でも紙に過ぎない(ニサルガダッタ・マハラジ)
- 教えと言うものは火掻き棒であって、火を起こすものに過ぎない。いったん火が燃え上がったら、もう棒は投げ捨てて、燃えるままにしておけば良い(ラマナ・マハリシ)。
- ブッダが地上に戻り、大量の経典を読んで、これらは不正確で既に力を失ったものであると宣言できないのが残念です。ブッダのことばをもっとも忠実に記録していると言われるパーリ語の経典でさえ、ブッダの死後500年を経てからかかれたものです。あなたは先月言ったこと、先週いったこと、あるいは昨日言ったことを正確に思い出すことができるでしょうか?
- ウ”ィパッサナーは欧米で人気がある。が、経験に注意をはらうということは努力がいることになり、自己を強化してしまうことがある。
- 多くのアドヴァイタ系の人は、どのような修行も悟りの妨げとなると信じている。それはもともとないドアを作り上げるからだ。
- 瞑想に関して、「やるときはおやりなさい。やらないときには、やらないことです」ニサルガダッタ・マハラジ
- 「悟りは今ここにある。必要なことは、まだ悟っていない、という思考を捨て去ることだけだ」(ラマナ・マハリシ)
- 瞑想とは非常にシンプルなものです。ただ座って、あるがままにしておけばよいのです。
- 師の教えや、目覚めた人のことばなどは、それが指し示しているものの香りである」(ジーン・クライン)
- 師を持たなくても、偉大な師や聖者の言葉を知り、それを自分の中で共鳴させることができます。そのとき、静かに座り、先入観を脇において、ただその言葉を、自分の存在と言う静かなプールに小石のように落としてみることが大事です。私も、「探しているものは、探されているものである」という師のことばに共鳴した。その後私の今までの世界はひっくり返った。概念的に理解しようという試みは放棄しましょう。それでも概念的な理解は自然に起こります。
- トニー・パーソンズは、瞑想や修行はしたことなく、応援を散歩していたとき自然に目覚めた。
- 私の最初の目覚めはカルフォルニアの高速道路で起こった。
- 実際の目覚めはアイデンティティの位置の微妙な変化として起こる。ジーン・クラインは「あなたの後ろに自分を見つけるように」とアドバイスした。普通人は額の辺りに自分がいると考えている。このようにすることであなたの後ろの、全てに気付いているスペースにアイデンティティをシフトする。
- 目覚めた人も様々である。友人であり師でもあるアジャシャンティは、ポーカーとオートバイを楽しんでいる。彼のさっとサンは非常にカジュアルで現代的である。