記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

過去にも未来にもとらわれない生き方

過去にも未来にもとらわれない生き方過去にも未来にもとらわれない生き方
(2009/07/01)
ステファン・ボディアン

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書評でかなり評判が良い本なので読んでみました。噂に違わずすごい本でした。最近一番のヒットです。なんというか、スピリチャルな探求を行っている人が陥りやすい誤りを、痒いところに手が届くように指摘してくれています。私は本を読んだとき重要なページの端を折り曲げるのですが、半分くらい折り曲げたんじゃないかという感じでした。文章を読んで、この筆者はとても教え上手な人なんだろうな、というのがよくわかります。 随所にラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジの言葉が引用されています。他に白隠禅師の言葉などもあり、日本人の我々に親しみやすいですね。 2009年(原著 Wake Up Nowは2007年)出版の本と言うこともあり、エックハルト・トール、アジャンティなど、最近のグルにも言及されています。瞑想の仕方についても載っており、実践的です。 著者は「ヨガ・ジャーナル」の元編集長。十年以上参禅してきたものの覚醒せず、その後アドヴァイタ系の修行で覚醒。師はジーン・クラインという方のようです。 以下、印象的な点。
  1. 禅では悟りそのものについて説明されることはめったにない。それは偽りの目覚めを避けるために意図的に避けられている。
  2. 多くの人が今、瞑想やその他定まった修行を実践しなくても自分に備わったスピリチャルな本性を発見しつつある。多分それは今が情報社会であり、携帯電話やeメール、ウェブサイトやブログのおかげかもしれない。しかし今、目覚めは宗教的な装いを捨て去り、ありのままの姿、誰もが今ここで獲得できる普遍的な人間の経験なのだということを示し始めたように見える。
  3. 本書では繰り返しあなたの本当の姿を直接に指し示し、ことばがあなたの中で共鳴して、自然に目覚めが起こるようにする。
  4. もし次の世代に影響を与えたいと願うのであれば,一番大切なことは自分が目覚めることです。自身の陣税の中で、本当の自由を体現して下さい。
  5. この本をあまり真剣に受け取らなくて良い。気分が共感できるところを気楽に覚えておけば良い。
  6. 「私はまだ悟っていないというその心こそ、悟りへの唯一の障害なのだ(ラマナ・マハリシ)」
  7. あなたは常に外側の対象に向かって注意を向けているが、視線を内側に向け、見ているそれ自身に注意を向けることはめったにない。多くの聖者は、「目はその目を見ることができない」という。
  8. 漸近的なアプローチは、本当の自分を見つけるためには努力しなければならないという信念を強化してしまう。私は師に、「探し求めている者こそが捜し求められている者である」といわれ自分が何者であるかを悟った。
  9. 漸近的なアプローチは必ずしも必要条件でない。僧院や寺にこもって修行しながら一度も悟りを見なかった何千、何万の修行者がいる一方、一度で目覚めるスピリチュアルな師もいる。慧能金剛経を少し聞いただけで悟った。
  10. しっかりと修行をすればやがて本来の自分を発見できるのだと言う思いは、今ここに現前していて容易に発見できるという可能性を閉ざしてしまう。
  11. 本来のあなたはあなたの呼吸よりも近いところにあり、努力しなければならないという信念は本来のあなかたかあなたを遠ざけます。
  12. 世界の宗教は、多くの根本的な真実を概念や思考で作り上げようとする文書であふれている。それは何世紀にもわたっていて、やがて信条と化し、探求者に重荷となってきた。
  13. この本のことばを文字通りにとらえないで、内部で共鳴するにまかせて、本のことは忘れましょう。
  14. どんな正しい地図でも紙に過ぎない(ニサルガダッタ・マハラジ)
  15. 教えと言うものは火掻き棒であって、火を起こすものに過ぎない。いったん火が燃え上がったら、もう棒は投げ捨てて、燃えるままにしておけば良い(ラマナ・マハリシ)。
  16. ブッダが地上に戻り、大量の経典を読んで、これらは不正確で既に力を失ったものであると宣言できないのが残念です。ブッダのことばをもっとも忠実に記録していると言われるパーリ語の経典でさえ、ブッダの死後500年を経てからかかれたものです。あなたは先月言ったこと、先週いったこと、あるいは昨日言ったことを正確に思い出すことができるでしょうか?
  17. ウ”ィパッサナーは欧米で人気がある。が、経験に注意をはらうということは努力がいることになり、自己を強化してしまうことがある。
  18. 多くのアドヴァイタ系の人は、どのような修行も悟りの妨げとなると信じている。それはもともとないドアを作り上げるからだ。
  19. 瞑想に関して、「やるときはおやりなさい。やらないときには、やらないことです」ニサルガダッタ・マハラジ
  20. 「悟りは今ここにある。必要なことは、まだ悟っていない、という思考を捨て去ることだけだ」(ラマナ・マハリシ
  21. 瞑想とは非常にシンプルなものです。ただ座って、あるがままにしておけばよいのです。
  22. 師の教えや、目覚めた人のことばなどは、それが指し示しているものの香りである」(ジーン・クライン)
  23. 師を持たなくても、偉大な師や聖者の言葉を知り、それを自分の中で共鳴させることができます。そのとき、静かに座り、先入観を脇において、ただその言葉を、自分の存在と言う静かなプールに小石のように落としてみることが大事です。私も、「探しているものは、探されているものである」という師のことばに共鳴した。その後私の今までの世界はひっくり返った。概念的に理解しようという試みは放棄しましょう。それでも概念的な理解は自然に起こります。
  24. トニー・パーソンズは、瞑想や修行はしたことなく、応援を散歩していたとき自然に目覚めた。
  25. 私の最初の目覚めはカルフォルニアの高速道路で起こった。
  26. 実際の目覚めはアイデンティティの位置の微妙な変化として起こる。ジーン・クラインは「あなたの後ろに自分を見つけるように」とアドバイスした。普通人は額の辺りに自分がいると考えている。このようにすることであなたの後ろの、全てに気付いているスペースにアイデンティティをシフトする。
  27. 目覚めた人も様々である。友人であり師でもあるアジャシャンティは、ポーカーとオートバイを楽しんでいる。彼のさっとサンは非常にカジュアルで現代的である。
以下、感想。 2: これは本当にそうなのかもしれませんね。昨年知りましたが、最近アドヴァイタ系で目覚めているグルは本当に多いようです。偽者もいるのかもしれませんが、それよりも目覚めというのが何か特別の、一部の聖者にしか起こらない特別なものではなく、容易に、誰にでも起こるのもである、ということを示しているのかもしれません。というか、そうでないと意味がないですよね。絵に描いた餅では。情報化社会というのは本当に素晴らしく、以前では考えられないスピードで情報が流通し、正しい情報が広まり、怪しい情報は駆逐されているのをまざまざと感じています。精神世界においても、本当に良い情報がすごいスピードで広まっているのかもしれません。これは推測ですが、昔の日本では中国経由でお経が伝わってきていますが、誰が書いたのか、とか、よくわかっていなかったのではないでしょうか。日本に伝わっているお経はほとんどはお釈迦様の直接の教えとは異なり、後のインド人が大きく変えたものですが、そんなこともよくわかっていなかったのではないかと推測します。 全体的に、この方は漸近的な修行のアプローチで失敗した体験から、そのことを戒めることばが多いですね。確かに修行がルーチン化されてしまうとその方法に満足して、本当に大事な今、を見逃してしまうのでしょう. また、文書や教えに囚われるな、と言うことを随所でいっています。ここは注意したいと思います。人は直ぐに、すごそうな教えを手にすると、それを聖典とみなしそこに囚われがちです。私もその傾向が強いです。この本は私のバイブルだ、などとよく思います。どっちをバイブルにしようかな、などと考えることがよくあります。人は自分のバイブルを決めたいのでしょうが、これが良くないのでしょう。この方は随所で、この本をあまり真剣に受け取らなくて良い、といっていますが、良いです。ある意味、本書で一番参考になる点かもしれません。 15: もっともです。日常生活でもよく感じますが、間に人一人入るだけで、微妙なニュアンスなど変わってしまうものです。ましてやブッダが言ったことを500年後に記録したものがどれだけ正確なのでしょうか、という主張は非常に説得力があります。 22.はとても参考になります。私は最近、”目は自分自身を見られない”という言葉が非常にひっかかっています。なんか凄く重要そうなのですが、どう理解すれば良いのかさっぱりわからず困ることがよくありました。クリシュナムルティのよく言う、"Observer is the Observed"もそうですが。そっと漂わせておくようにしてみます。 そういえば、これは右脳の理解の仕方だな、と思いました。ロジカルな左脳は、言葉のロジックに正面から取り組みます。一方、右脳での理解の仕方はこんな感じでですね。科学者でもこの双方を活用していますね。直ぐには解けない問題があると、それをそっと浮かべておく。すると突然、風呂に入っているときとか寝ているとき、突然解法が浮かぶ。偉大は発明、発見はこのように起こることが多いですよね。