記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

職業

子供たちが大きくなっていくにつれ、彼らは将来どんな職業につくか、ということを考え出すだろう。 職業選択というのはなかなか難しい問題だ。職業を選択する上で様々な観点があるだろう。自分の興味、収入、安定性、社会への貢献度... そうした点で若い頃の自分を振り返ってみると、自分はほとんどが”自分の興味”を中心に考えていた。とにかく自分が好きなこと、やりたいこと、を志向していた。そうした意味で、技術職や研究職を志向していた。同様の人は理系に多いだろう。 しかし今振り返ってみると、自分は観点が狭かったと思う。自分の興味を追求して収入を得られる人というのは限られている。収入の基本というのは、誰かに何かを貢献することでその対価として得られるものだろう。そうした意味で、自分の興味の追求が収入になるというのは一部の限られた人にしか許されていないように思える。そうした意味で振り返ってみると、若い頃に、もっと、自分は何に貢献できるか、といった観点も入れて職業を考えていけばよかったと思う。 例えば、大学などの研究職。非常にポストが少ない狭き門であり、オーバードクターがあふれている。仮にポストが100とし、そこに着きたい人が200とする。この場合、社会が必要としているのは100であり、その他の100は特に社会は必要としていないが、自分の趣向でその職業に着きたいと思っている人である。ある意味、自分のエゴである。社会から必要とされていないのであれば、素直に別の選択肢を考えるのも一手と思う。 とはいえ、自分があまり好きでないことをやるのは辛い。というか、あまり好きでないことをしぶしぶやっている人は、本当に好きでやっている人にかなわない。例えば、サラリーマンIT技術者は、ITが好きで好きで、休日でもプログラミングに没頭している人にはかなわないだろう。ITが好きで空きで、一日中でも議論していたい人に、2時間の議論でイヤになってしまう人はかなわないだろう。といった意味で自分の興味というのは重要なファクターなのだが、これだけ考えるのは視野が狭いだろう。 なかなか難しい問題だが、子供とはこうしたことをあれこれ議論していきたい。