記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

アドヴァイタ考

アドヴァイタ系の精神世界本をよく読むが、そのエッセンスは、”誤った自己同一化からの解放”ではないかと思っている。

人は自分の身体や思考を自分だと思ってしまうが、それが誤りで、全ての不幸の元凶である。本当の自分は、それを見ている主体である。そしてそれは主体であるからこそ、決して見えないものである。

この自己同一化の罠、というのは日常でよく体験する。典型的なのがゲーム。ゲームをしていると、いつのまにかゲームのキャラクターが自分と思えてくる。そして、キャラクターがダメージを受けると、自分がやられたという感覚を持つ。他には車。車をよく運転する人だとわかると思うが、車を運転していると、そのうち車と自分が一体化してくる感覚を持ってくる。そうすると車幅感覚というのが身についてきて、車をこする、といったことがなくなってくるし、駐車も簡単にできるようになる。元F1レーサー、中島悟さん著書に、自分の体が延長して車と一体化するような感覚を持つことが運転がうまくなる秘訣である、といったことを書いていた気がする。

人間は自分の意思と連動して動くものを自分として捉える特性があるようである。そして、自分の身体や思考は自分と連動して動くために、自分という感覚を持つ。そしてこれが全ての不幸の元凶である、というのがアドヴァイタの教えなんだと捉えている。このもろく、そしてそのうち消えてしまう肉体との一体化の感覚。だが、それは感覚だけである。あなたは肉体でも思考でもない。それを見ているものである。そんな風に捉えている。