記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

ただそれだけ

ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教えただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え
(2011/11/23)
カリヤニ・ローリー

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待望のセイラー・ボブ・アダムソンの初の和書。待ってました。私はこの方、大好きです。ニサルガダッタ・マハラジさんの弟子ですが、言っていることがシンプルでわかりやすく、切れ味するどいです。本書も240ページ程度の小さな本ですが、非常に示唆にあふれる言葉で溢れています。年末に良い本読めました。たくさんの人を覚醒に導いていた方らしいですが、この方の言っていることを読んでいると、実は非常にシンプルなことなんじゃないか、という気がしてきます。 そして、クリシュナムルティエックハルト・トールらの言っていることと似ていると感じました。基本的にこうした覚者たちは同じ境地なのだと思いますが。P.108でいっている、人は何をやっても心の中だ、そこから抜ける唯一の方法は完全に止まることだけだ、というのを読んで、クリシュナムルティのFirst and last freedom、を思い浮かべました。 苦悩
    他に、盤珪禅師の不生、を何度も引用している点が印象的でした。私も盤珪禅師、大好きです。こうしたアドヴァイタの世界というのは基本的に禅と同じなんでしょうね。禅のエッセンスを現代的な表現でわかりやすく語っているという印象があります。 エックハルト・トールは、自分の言っていることは禅に限らずあらゆる宗教のエッセンスだ、と言っていました。 以下、印象的なフレーズ。
  • 東西南北のどの方向へ行こうが、上へ行こうが、下へ行こうが-それはいつも心の中です。たった一つだけ、心の外にでる方法があります。完全に止まることです。P.108
  • 思考は一時的に止められますし、感覚や感情もすべて一時的に止めることができます。しかし、それらがその上に現れてくるこの本質は、始まりもなく終わりもありません。P.109
  • 私たちの問題は、二歳か二歳半頃に身につけた一個の分離した実体、すなわち「自分」という考えから起こります。P.127
  • このように虚構のエゴとは、私たちが長年束縛されてきた一つの思考なのです。エゴとは、選択ができ、自分の意思を持っており、たまには悪運に見舞われることもある一つの実体である、という信念は、ただの思考にすぎません。P.130
  • 考えることになにも悪いことはありません。しかしそれが思考者と思考に分けられるなら、問題となります。...見ることに何も悪いことはありません。見るものと見られるものに分けるとき、その分割は観念的なものにすぎません。...私はこれを見る、私はあれを見る、と言うとき、見ているものがなんであれ、それは見ているものに対してあなたが貼っているラベルです。ですから、いつも一つの思考が別の思考と対立しているのです。...すべては思考と思考が互いに抵抗しているだけです。その二つが同じ棒の両端であることが理解されたなら、そのときそれはまったく問題ではないのです。P.135
  • もし思考が何の中で起こっているかが理解されるなら、思考を止める必要がありますか?雲は空間の中にあるのではないでしょうか?あなたは空間を認識するために雲をやめなければならないでしょうか?...大事なのはただ、自分が本当はなんであるかを理解することです。P.136
  • ニサルガダッタは明確にこういっています。「あなた自身の想像以外、あなたの問題となるものはない。」P.159
  • 心が本来の自分だと思い込むことは、自己破壊的行為なのです。P.165
  • 誕生という考えは、あなたが論理的思考を覚え始めたときにおこったのです。P.172
  • 「presense」という言葉で私が言いたいのは、ある特定の場所にいるということではなく、自分が在ることを認識していることそれ自体です。その単一性、その非二元性、第二のない一なるものにおいては、主体も対象もありません。P.178
  • 一個の実体という考えが、あなたの問題のすべての原因です。。何かが起こると、私たちはそれを過去の記憶の自分に参照し、そのことで自然な流れを妨げるのです。P.187
  • 私とは、たえず自分と一緒にいるように見えるこの「私」という観念だろうか?たえず一緒というけれど、それはどの程度そうなのだろうか?実は、注意深く観察してみると、それは存在していません。人は、「私は在る」「私は在る」「私は在る」と一日中考えているわけではありませんし、「自分」に関することを一日中考えているわけではありません。一日の中でそうした想念が湧いてくるのは、数えるほどでしかありません。しかし、本来のあなたである知る働きは常に存在しています。P.194
  • 私たちが自分だと信じているこの観念的実態を参照すること-それが、すべての苦しみの源泉です。見かけ上、傷つけられる可能性のあるのは、それだけです。P.200
  • ある感覚が沸き起こってきて、それを私たちが怒りと呼ぶとき、その怒りという名称を私たちはどこから持ってきているでしょうか?過去からです。もしあなたがその瞬間のあるがままのその感覚と一緒にいるなら、あなたがそれに名前をつけなければ、それは怒りでしょうか?それはただあるがままです。P.209
ちなみにセイラー・ボブ・アダムソンさんの講話はYouTubeで見られますが、この方の英語、私はよく聞き取れません。残念です。たまに字幕付きの映像もありますが。