最近、有ることと無いこと、についてよく思いを巡らせています。代表的なのは老子ですが、クリシュナムルティもよく講演で同じようなことを言っていますね。 我々は有るものばかりに目が言って、無いことにはあまり目が行きません。老子の例では、器は中が空いているから有用なのであって中が空いていない器は意味がない。 自分に関して思うのは、我々は一日中あれこれ何かを考えています。そして記憶に残っているのは強烈な思いや感情。しかしそれは我々の意識の一部でしょう。何も思考のない空白の時間があるはずですが、これはないものとして認識されていない。しかし実はこちらが自分の本質かもしれない。しかしマインドは有るものしか認識できない、そういう器官である。 過去を思い出すと、思い出すのは強く心に残るエピソードばかり。しかしながら実際の過去は、あまり記憶に残らない何気ない毎日がほとんどだったのではないか。 有ることは無いことの中で浮かんでいるほんの一部である。しかしながら我々は(マインドは)そのあることばかりに目がいってしまう。その無いことに視点を向けることが大きな視点の転換になるのではないか。 支離滅裂ですが、何かそんなことをこの頃考えています。 参考 ゲシュタルトによれば、我々が「光」と呼ぶものは、実際には暗い背景に浮かぶ光の形である。明るい星の輝きを知覚するとき、わたしが実際に見ているのは、個別の星ではなく、「明るい星+暗い背景」の場全体もしくはゲシュタルトである。 無境界 ガンガジもDiamonds in your pocketsの中でこのように述べています。無用第十一 三十輻共一轂。當其無、有車之用。挻埴以爲器。當其無、有器之用。鑿戸牖以爲室。當其無、有室之用。故有之以爲利、無之以爲用。
Our minds are inactive for many moments during the day,but we are conditioned to pay attention only to the activity of the mind,and these points of silence are simply overlooked.When I speak of "stopping",I am pointing to that silence between thoughts,which is formless consciousness.
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