記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

誰がかまうもんか?! ―ラメッシ・バルセカールのユニークな教え―

誰がかまうもんか?! ―ラメッシ・バルセカールのユニークな教え―誰がかまうもんか?! ―ラメッシ・バルセカールのユニークな教え―
(2010/02/25)
ブレイン・バルドー

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P.25より

しかし、私があなた方に言っているのは、教えを忘れなさい、ということです。それがおのずと作用するのにまかせなさい。これがとても重要です。 .... エゴが自分の絶滅に手を貸したいと思うでしょうか?もちろん、違いますね。エゴは、自分自身の絶滅のためではなく、ただ何かを達成するのに利用できるから、教えを欲しがっているにすぎません。教えが忘れられれば、エゴは忘れられ、そうすると、教えがひとりでに働くようになります。

著者のラメッシ氏は、銀行の頭取などとして働いた後、ニサルガダッタ・マハラジに師事し覚醒。以後自宅で教えを説きつづけた方です。基本的にはニサルガダッタ・マハラジ系の流れなのでしょうが、ことば使いなど少々癖がありわかりにくいという印象でした。 この上記ポイントは納得です。ついつい教えを求め集めてしまいがちですが、それはエゴが自分に何かを付け加えたい、という欲求である気がします。つまり、知識や物を増やしたいという欲求が究極の知識としての教えを求める。が、それは違うのでしょう。つまりエゴは自分を強くするために教えも一つのアクセサリーにしたがっている。聞いた教えは全て忘れて、それが勝手に作用するのに任せる、それが正しい教えの受け取り方なのかもしれません。 このように、教えに囚われないことは様々な聖者が強調していることだと思います。ガンガジさんも、ガンガジということば、名前など忘れてしまいなさい、といったことを言っていたのが印象に残っています。