記憶の索引2

東京の普通の会社員の日記。本や映画の感想、自然観察、日々の思い、など。 興味は科学、数学、脳と心、精神世界、植物、育児、教育、ビジネス、小説、などなど。

私たちを鈍くするのは何でしょうか?

クリシュナムルテイ関係で、”新しい芽”というサイトがあり時々見ています。 これは印象的でした。 http://homepage1.nifty.com/spr/live/live04.htm あなたがあなたの生計をかせぐために自分のしなければならない何かをすることで手いっぱいなら、そしてあなたがそれに抵抗するなら、明らかに心は鈍くなります。なぜならその抵抗そのものがブレーキを掛けてエンジンを動かすことに似ているからです。哀れなエンジンに何が起こるでしょうか?あなたが車を運転したことがあるなら、何が起こるか知っているでしょう。ブレーキを掛けたままにしているなら―ブレーキをすり減らして駄目にするだけではなく、エンジンをすり減らして駄目にするでしょう。それがまさにあなたが仕事に抵抗するとき、していることなのです。であるのに反して、あなたが自分のしなければならないことを受け入れ、できるかぎり聡明に、十分にそれをするなら、そのとき何が起きるでしょうか?あなたはもはや抵抗していないので、あなたの意識の他の層はあなたがしていることにかかわらず活動的です。あなたはあなたの仕事に意識的な心だけを注いでおり、無意識、あなたの心の隠れた部分はもっとより多く生気があり、もっとより多く深さのある他のものごとに占められています。 仕事をしているとき、私の頭は不満だらけです。”何で自分がこれをしなけりゃならないんだ”、”こんなのできない”、”奴がいっていることはおかしい”。多分これがクリシュナムルティのいう、ブレーキをかけながらエンジンを動かしている状態なのでしょう。仕事が私を鈍くしているのではなく、仕事に対する抵抗が私を鈍くしている、ということでしょう。 最近の心理学や脳科学の研究では、脳、心理が分散システムであり、従来の人間観のように、”私”を中心とした中央集権的なシステムではない、という議論がよくされているようです。自分が自分と思っている意識の一部が自分の中心というわけではない。むしろこれは影のようなものではないか。クリシュナムルティのいっていることは、この最近の流れに非常にマッチします。彼は講演や対話では神秘的なことばをほとんど使用しません(日記は神秘に満ちていますが)。彼の言説は、宗教や哲学というよりは、非常に科学的な香りがし、ここが魅力です。